僕は頭が悪いのかもしれない(果しなき流れの果にを読んで)

自分は他の人と比べて頭が悪いのかもしれない……。たまにそんな不安にかられる。
今回、小松左京さんの『果しなき流れの果に』を読んでも思った。

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

久々にSFでも読もうかなーとAmazonで探していたところ、レビューがたくさんついてる割に評価が高い本作を見つけた。1963年に連載が開始されていて、ちょっと古いけどまぁ大丈夫だろうだろうと、Kindleで購入した。


したら、読むのに苦労する苦労する。
粗筋を書くのは諦めるけど、現代の青年が未来からの使者に追われて、過去・未来を縦横無尽に行き来するって話だった。
で、この行き来がまじで縦横無尽。さっきまで未来の話だと思ったら過去に帰ってて混乱する。さらに追手側の視点でも過去・未来が入り乱れて書かれるため誰がどこにいるのか分からなくなる。ようは何が何だか分からなくなる。こういうのは読書体験としてかなり辛い。読み終わるのにかなり時間がかかった。


でもAmazonのレビューが高いという現実……。
本当にみんな分かったの!?理解できた?「やーこのストーリー、最高だぜ!」って思えたの?と聞いて回りたい。
「中学生のころ貪るように読んだ」とか「高校時代の愛読書」とか書いてるレビューを見ると、まじかよ……?と思う。中学時代、十五少年漂流記を愛してた僕が不憫。隣でこんなに難しい本を読んで理解してた奴がいたんだ……。
「お前、かしこぶって本とか読んでるけど、ただ友達がいなくて本読むことくらいしかやることなかっただけだから」と、もうひとりの僕が中学時代の僕に酷いことを言う。僕がかわいそう。


こういうことがあると「もしかして僕の頭が悪いだけなのでは……?」と不安になる。誰でもいいから「違うよ、君は頭悪くないよ」って慰めてほしい。