最近の外食トラブル

最近、体がダルくて仕方ない。風邪をひいたようなぼんやり感。これがここ最近の変な気候で本当に風邪をひいたのか、花粉症から来ているものなのか、仕事の疲れなのかが分からない。
喉も痛いんだけど、調べてみたら花粉症でも喉が痛くなるらしい。分からない……。


分からないと言えば最近、外食が分からなくなってきている。
仕事が忙しくなってきてからは家でご飯が食べれず、職場近くでパパっと夕飯を済ませてしまっている。お店を選ぶ気力もないので松屋日高屋の2択にしている。野菜を食べたいときは日高屋、肉を食べたいときは松屋、という効率的な使い分け。
この前、職場近くにガストを見つけ、すわ!2強が3強になるか!?と思ったのだけれど、訳あって行かなくなった。


というのも、そのガストに初めて行ったとき隣で食べていた男の人が「おいっ!」と店員さんに怒鳴り始めたことに始まる。「はい」と答える店員さん。「このキャベツサラダ、不味いんだよ!味がしねーんだよ!」とサラダのお皿を突きつけながら訴える男性。
そのサラダのお皿を見て「こちら……ドレッシングがかけられてないから味がしないのだと思います……」と店員さん。ザワついていた店内が静まる。怒鳴っていた男性も一瞬呆けたけれどすぐに「ドレッシングなんていらねーんだよ!キャベツ本来の味がしねぇんだよ!」と。
キャベツ本来の味!
ガストにそれを求めるのは酷ではないかと。むしろ他のお店よりシャキシャキしているとも思う。ガストに山岡さんみたいなのが来てしまった……。
怒鳴った男性はそれで満足したのか、あとはハンバーグ定食を普通に食べて帰っていった。
怖い……。
そんな恐怖体験があってからガストは使えなくなってしまった。


そんな中、今日の日高屋
店員さんにオーダーを聞かれ、ぼくはいつもの通り「中華丼と餃子3個の」と頼んだ。これが僕にとってベストの采配。僕くらいの日高屋プロになるとメニューを見ない。席についた瞬間に「中華丼と餃子3個の」と頼む。
餃子は普通1皿6個なんだけれど、35歳に丼ものと餃子6個は重たい。でも中華丼だけだと物足りない。そこを埋めるのが餃子3個なのだ。
頼むとたいていすぐに中華丼が来る。その中華丼を食べながら餃子を待つ。だいたい半分くらい食べた頃、餃子も到着する。
今日も同じタイミングで「餃子3個、お待たせしました」と店員さんが声を掛ける。どれどれと振り向くとお皿に餃子6個。あれ?と「あのー餃子3個のを頼んだんですが……」と言うと、「え?餃子3個ではなく?」と店員さん。え、でも店員さんの手に持ってるの6個のだよね?何言ってるの?とパニくっていると、店員さんのもう片方の手に6個入り餃子を2皿……。
え、もしかして餃子3皿頼んだことになってる!?
蚊の鳴くような声で「あの、3個餃子を1皿頼んだんですが……」と訴えると「え!?」と店員さん。すぐにカウンターに戻って3個餃子に変えてくれた。
その餃子を食べながらグルグルと回る思考。
「せっかく作って持ってきてもらったんだから、素直に貰っておくべきだったか……。僕の頼み方も曖昧だったし……。や、でも3皿は食べれないよな。てか、僕ガリガリなんだけどよく3皿持ってきたな!あーでも大食いの人けっこうガリガリな人多いか……」とか考えてた。
僕の胃が大きかったら、すべて解決したのに……。


そんな最近の外食事情でした。

引越します

最近、忙しいのに引越しというイベントを入れてしまった。まぁ2ヶ月後だし大丈夫だろうなんて思ってたら、え?なに?今日って4月2日?あと2週間強しかないじゃん!早く言ってよ!っていう自体になりつつある。


今回、「部屋数が多い」のに「今より家賃が安く」さらに「駐車場付き!」という理由で選んでいて
遠くには行かない。ご近所への引越しになる。今の家から歩いて10分くらい。環境面の大きな変化は使う駅が変わるくらい。つまり、あまり変化のない引越しになる。
その意識が良くなかったのか、僕の荷物は全然片付いていない。平常運転。一方、妻の荷物は着々と片付いている。
今の家に引越すにあたり、妻はしっかりと準備していたところ、僕は前日徹夜でフラフラになりながらやって怒られたことを思い出す。次は計画的に……と思っているけれど、人間30を超えると変われないみたいなので大目に見てもらえないかと密かに期待している。どこまで怒られないか、限界を見極めてみようと思う。


ちなみに今回の引越しが社会人になって5回目の引越しになる。
うち4回が徒歩10分圏内の引越しだ。まさかこんなに近場で引越しを繰り返すことになるとは思ってなかった。ペットのハムスターがゲージの中でクルクルとホイールを回すところが、なぜか思い出される。

金曜夜の飛行機

この日記は広島に向かう飛行機の中で書いている。金曜夜に飛行機の旅。凄い出来るサラリーマンっぽい。間違いない、ヒー イズ エリート。
実際には読もうと思っていた本をスマホにダウンロードするのを忘れ、ANAの機内誌『翼の王国』も読み終わり、暇になったから書いている。 


今の悩みはテーブル下げていいってアナウンスがあったに、周りの人が誰も下げないこと。みんなビールとか開けないこと。アナウンスがあってから僕は即行でプシュッとか鳴らしたのに誰も続いてこない。なに?みんな、禁酒中?え?てか、飛行機だよ?浮かれないの?こちとら、登場ギリギリまでビール買ってて羽田空港中に「19時30分発、広島行きにご搭乗予定ののひ太様。出発時刻が迫っております。お早くご搭乗下さい」って放送されたのに!


やだわーみんな、すました顔で飛行機乗っちゃってさ。
いま、機内のTVでセイン・カミュが露天風呂に入ってるんだけど、すごい身体してる。ムキムキ。え?こんなキャラだっけ?


……とか思ってたら着いた!うそ?早くない?
ビールマジック……。スモール・ワールドだわ……。
とりあえずラーメン食べます。
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職場の時計が5分進んでいる

職場の時計が5分進んでいることに気がついた。「あれ?何かあの時計、進んでるな。まぁいいや、パソコンかスマホの時計見るし」って思ってたら、となりのフロアの時計も5分進んでいた。
「え?」と思い、そのとなりのフロアを確認してみると、やはり5分進んでいた。そのとなりも進んでいる。そのとなりのとなりは進んでなかった。そこは進んでおけよ!って思ったけど、僕が在席している階の時計は、基本3〜5分進んでいた。けして遅れている時計は無かった。


ここまですべての時計が進んでいると恣意的なものを感じる。けど「職場 時計 進んでいる」で検索しても特にその効果的なものが出てこない。分からない。気持ち悪い。仕方ないので想像してみる勤務中。


・職員が自然と5分前行動する?
→でも、あの時計狂ってるしなってみんな知ってるはず。まー打合せの時間だけど進んでるから遅れていこうって思ってるはず。てか、僕が思っている。そして打合せに遅れて顔を出し、みんなに冷たい目で見られる。時計が悪い。

・出社時間ギリギリにならないようにあえて進めてる?
→上の理由と似てるけど「あぁあの時計進んでるから、9時10分に着いたけどセーフだよね。9時出社にしておこ〜」って心の中で言い訳している。僕が。時計が悪い。

・終電を逃さないように配慮している?
→これだとしてら終電ありきで考えている会社が怖い。その優しさ、間違えている。カツアゲしてる人が「おら、一万円寄こせよ」って言ったあと「お前、帰れなくなるだろ」って500円返してくれるみたいな。違う。間違えてる。

・なんか霊的なもので進んでいる
→怖い。無理。やめてほしい。


こんなことを考えてたら終電5分前になっていた。
あ、あと5分いる?いや、ありえない。

ビクビクしない人になりたい

最近、仕事にアップアップで心に余裕がない。プロジェクト全体的に厳しい状況でその余波が末端の僕にも直撃していて忙しい。
さらに毎日どこかしらで怒号が飛び交う楽しい会社になりつつある。
「あれはどうなってるんだー!なんでやってないんだー!」という御言葉が上から飛んでくる。
もうね、僕みたいな小心者としては自分が怒られていなくても、人が怒られているのを見るだけでビクビクしてしまう。
全然仕事が手に付かない。
怒るんだったら、
・何が悪かったのかを順序立てて説明し
・問題点を双方で共有し
・では、どうすればよいかを話し合う
・そして、怒っているけれど、君のことは大切に思っているよ。愛している
というのが、伝わるように怒ってほしい。
机をガンっとか隣の打合せスペースでやられると、こっちもお尻が椅子から2センチくらい飛び上がってしまう。みんな平気にしてるから僕だけ飛び上がってしまい、恥ずかしい。


という殺伐とした昨今。怒られないように薄氷を踏む気持ちで毎日過ごしてるもんだから、精神的に削られている。
昔は今よりもっと切迫していたにも関わらずブログを毎日更新していたことを考えると、精神的に弱くなったのかな?とも思う。
本当なら最近、おならが止まらない話とか、すかしっ屁をするときの最適な肛門の締め付け方が分かった話とかを書きたいんだけど、どうにも気分が乗らない。てか、書かないほうが社会的にも良いのかもしれない。


唯一の救いはceroが4枚目のアルバム発売を発表したこと。予告動画が上がっているのだけれど、もうこの数秒が最高に格好いい。5/16発売なのでそこまで生き延びようと思う。

妻をHIPHOPヘッズにしたい

昨日、本や映画の趣味について妻と分かり合えないって日記を書いたのだけれど、もう一個思い出した。妻と分かり合えないシリーズ第二弾。

 

まずはこちらを見てほしい。

音楽なしのラップから入り、お客さんを十分に煽ったところでビートが入る。お客さんも僕も興奮。フォー。
意外なことに僕はHIPHOPが好きだ。詳しいわけではないんだけどフローに身を委ねるのが好きだ。格好いいのでもう一回言いたい。フローに身を委ねるのが好きだ。
いつだったか、妻が寝ている横で上の動画を見ていた。「はぁ……格好いいな」ってウットリしていた。何だったら体も揺らしてたと思う。そんな中、妻が起きてきて曰う。「なんで朝からお経みたいな音で目を覚まされなくちゃけないの?」と。
本当に普通にびっくりした。「え?格好良くない?」と聞くと、「や、分からない……」とのこと。
このとき[自分にとって心地良いものが人にとっては必ずしもそうでもない]、[下手すると不快なときがある]っていう、文字にすると普通のことなんだけど、そんな当たり前なことをガツンと突きつけられた。
はー現実にこんなことがあるんだ……って驚いた。


そもそも妻は音楽をあまり聞かない。車の中でもラジオではなくTVをつけている。
昔は音楽を聞いていたみたいなんだけど、ギターをかき鳴らす系が好きなようだ。ロックっぽいの?かな?ごめんなさい、知識が無いから表現出来ないんだけど、みんな聞いたら「あ、これはロックだね」って言うと思う。
……あわない。僕はどちらかと言うと重低音がズカンズカンと来て欲しい思ってしまう。


人にはそれぞれ好きなものがある。
それは個人の趣味の話で、それを無理やりどうこうしようっていうのはナンセンスだろう。むしろ人に多様性があるからこそ、様々なものが生み出され、さらにまた誰か違う人がそれを好きになって世界は広がっていくのだろう。好きになるものの選択肢が多いことは素晴らしいことだ。「好き」で繋がっていく世界。本当に素敵なことだと思う。

 

ここまでは分かっている。分かっている上で言いたい。
妻をどうにかHIPHOP好きに出来ないだろうか?
みんな違うからこそ世界が広がるっていうのは分かる。美しい。
けど、本音を言えば「僕の趣味こそが最高で至高!他のものが好きなんて信じられない!みんな!僕の好きなものの話を聞いて!!それ以外は認めないいいいい!!」って、みんな思ってるんじゃなかろうか?僕はほんのちょっぴりそう思っている。ほんと、ちょっぴりよ?
僕が家で音楽をかけて、ふとした拍子に「あ、この音楽いいね」って言われたい。ただそれだけなんだ。


というわけで、僕は少し小細工をした。
ゴリゴリのラップとかだと、確かに受け入れるのに時間がかかるだろう。でも、スムースな、耳心地のいいやつなら、案外「へーラップって怖い曲かと思ったけど、こういう優しい感じのもあるんだ」ってなるかもしれない。
さらに言えばこれまで頑なな態度をとっていたから、もしかしたら素直にいいねって言うのが憚られるているのかもしれない。
この2つを勘案して、TVでYoutubeに繋げ(AmazonのFireTVで出来る!)、この曲をかけたまま「ちょっと用事が」と言って2時間くらい外に出てみた。 

 

どうだろう?この曲。夏の雨上がりのように爽やかな風を感じないだろうか?
そのとき妻はDSでゲームをしていたけど、この曲ならふとしたタイミングで「へー夫って、こんなのが好きなんだ……。ちょっと良いじゃん」って思ってくれるかもしれない。それにYoutubeなら似たような曲を探せる。ここから他の曲を探すかもしれない。ラップにハマっていき、いつかはHIPHOP好き(=ヘッズ)になってるかもしれない。

 

2時間後、僕はワクワクしながら帰ってきた。
TVは消されていた。
まぁね、2時間は長いし、色々と探してみた後かもしれない。TVをつけてYoutubeを繋げてみる。僕が家を出たタイミングで再生が止まってる。あ、僕が家を出てTVはすぐに消したのね。なるほど、なるほど。ゲームしてたしね。うん、うるさかったよね。ごめんごめん。
……ちくしょう!!


ここまでして、ようやく僕も気づいた。
良いじゃないか、好きなものが違っても、と。
やっぱり自分が好きなもの、人が好きなものは別で、それを無理やりあわせる必要はない。同じものが好きっていうのも良いことだけど、よくよく考えたら妻がゲームしてる横で音楽を聞く時間も好きだったりする。
そんな時間を大切にする生活を続けていければ良いんじゃないか。
いつかお互いの好きなものが交錯する瞬間を、少しだけ待ちわびて。

本と考え方の違い

瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』を帰りの電車の中で読み終えた。
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AF%E6%B8%A1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E6%96%87%E6%98%A5e-book-%E7%80%AC%E5%B0%BE-%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%93-ebook/dp/B07B2PS6RY
もう何だよ!この本何なんだよ!
良すぎるじゃないか!!素敵すぎるじゃないか!!

もともと瀬尾さんの本が好きで新刊が出たら読むようにしてるんだけど、今回も良かった。
親が色んな理由でコロコロと変わっちゃう女の子の話で、お父さんが3人、お母さんが2人ととんでもないんだけど、全然ドロドロ感がない。みんな主人公のことが大好き。それなのに親が変わってしまう理由は是非本を読んでほしい。

ちなみに残り10ページくらいがヤバイ。心がギュッとさせられる。電車の中で35歳のオッサンが感涙した。別に悪いことではないはず。あの涙は夏の夕立のように爽やかだった。はず。
瀬尾さんの本を読んでると世の中には悪い人がいないんじゃないかって思う。


「はー良い本読んだ、家に帰ろう」と帰宅すると、妻が『クリミナル・マインド』を見ていた。

海外ドラマでFBIの人が異常犯罪者を捕まえるっていうドラマ。当然、毎回人が死ぬ。妻いわく「ドラマでも小説でも人が死なないと見た気がしないのよねー」と言う。
この辺、一緒に暮らしている妻でも全く相容れない。いいじゃん!人が死ななくても!手を繋いで生きていこうよ!と伝えるのだけど、分かってもらえない。「へー」と鼻をほじる(や、ほじってないけど僕の心象的に)。

ちなみに『クリミナル・マインド』は妻も、妻のお義母さんも、さらに僕の母も好きだ。別に彼女たちが連絡を取り合って「クリミナル・マインド、面白いよ。見てみなよ」って示し合わせたわけではなく、別々のルートで個々に好きになっている。「え?あなたも好きなの?」みたいな。
……怖い。なに?女性ってみんなこうなの?血を求めているの?争いの中で自分を見つけ出すの?……怖い。